連載「人口減少時代の行政を考える」第1回
行政は、どこまで私たちの暮らしを支えるべきなのでしょうか。
行政は、道路や学校、福祉、防災、文化施設など、私たちの暮らしのさまざまな場面に関わっています。普段はあまり意識しませんが、その多くは税金によって支えられています。
人口減少や財政の厳しさが現実のものとなる中、これまで当たり前に続けてきた行政サービスを、そのまま将来も維持できるとは限りません。だからこそ今、改めて「行政は何のためにあり、どこまでを公共として支えるのか」を考えてみたいと思います。
そもそも、なぜ行政があるのか
行政の役割を考える前に、まず「公共とは何か」という原点から考えてみたいと思います。
少し小学校の社会科のような話かもしれません。しかし、道路があること、学校があること、ごみが収集されること、消防車や救急車が来ること。私たちは大人になるにつれ、それらをあまりにも当たり前のものとして意識しなくなります。
例えば、家の前の小さな私道なら、利用する数軒がお金を出し合って舗装することもできます。
しかし、市内を結ぶ道路や橋を造る、河川を整備して洪水を防ぐ、上下水道を整える、消防署を設けるとなれば、一人の市民や一つの地域だけではできません。
しかも、その恩恵は特定の人だけのものではありません。
道路は多くの人が使い、河川整備は地域の生命や財産を守ります。消防や救急も、利用していない時でさえ「いざという時に使える」という安心を地域全体にもたらします。
個人では十分にできないが、社会全体にとって必要なことを、みんなで少しずつ負担して実現する。
その代表的な仕組みが、税であり行政です。
体育館や文化ホールも「公共」なのか
私たちの身近には、ほかにも税金で支えられているものがあります。
例えば小学校です。
子どものいる家庭だけがお金を出して学校を建てているわけではありません。子どもがいない人も含め社会全体で負担します。
それは、子どもが教育を受けることが、その家庭だけでなく将来の社会全体にも関わるからです。
公園、図書館、体育館、文化ホール、公民館なども、地域全体で支えているものです。
自分では利用しなくても、スポーツや文化に触れる場所、市民が集まる場所を地域として持つことには、一定の公共的な意味があります。
「自分だけのものではないけれど、みんなで負担し、地域として持っているもの」
私たちの暮らしの中には、こうしたものが数多くあります。
ただし、すべての「公共」が同じではない
ここで重要なのは、河川の堤防と市民体育館では、同じ税金で整備されるものであっても性質が違うということです。
堤防は、多くの人の生命や財産を守るため、利用する・しないという考え方になじみにくいものです。
一方、体育館や文化ホールには利用する人と利用しない人がいて、民間施設で代替できる場合もあります。
そのため、すべてを税金で負担するのではなく、どこまでを社会全体で支え、どこからを利用者に負担してもらうのかという考え方も必要になります。
文化もスポーツも大切です。
しかし、「大切なもの」であることと、「行政が税金で提供すべきもの」であることは同じではありません。
行政が施設を所有する必要があるのか、民間で代替できないのか、利用者に一定の負担を求めるのか。
こうした点まで含めて、「行政が担うべき公共なのか」を考える必要があります。
税金を使う理由を説明できるか
税金は行政が自ら生み出したお金ではありません。
市民や企業などが負担したお金を、社会全体のためにどう使うのかを行政が任されているものです。
だから、
- あれば便利だから
- 喜ぶ人がいるから
- 昔からやっているから
だけでは、税金を使い続ける十分な理由にはなりません。
一方で、利用者が少なくても、それがなければ生命や生活に大きな影響が出るのであれば、社会全体で支える意味は大きくなります。
公共とは単純に「多くの人が使うもの」ではなく、
「なぜ社会全体で負担するのかを説明できるもの」
と考える方が分かりやすいと思います。
人口減少時代に、公共の範囲を考え直す
人口が増え、経済も拡大していた時代には、「公共」の範囲を広げていく余裕がありました。
行政が担う分野も、福祉、文化、スポーツ、地域振興、各種補助制度など、時代とともに広がってきました。
一つひとつには始めた理由があり、その時代には必要だったものも多くあります。
しかし、一度始めた行政サービスは、年月が経つにつれて「行政がやって当然のもの」になり、見直すことが難しくなります。
その結果、行政の仕事は少しずつ足し算されてきました。
しかし、人口が減り、税を負担する世代も減り、道路や橋、学校、体育館、文化ホールなど既存施設の維持更新にも多くのお金が必要になるこれからの時代に、同じ足し算を続けることは難しくなります。
行政がやっているから必要なのではない。
社会にとって必要であり、なおかつ行政が担うべきものだから、税金を使う。
「必要なもの」と「行政がやるもの」は同じではない
世の中には、社会にとって価値のあるものがたくさんあります。
文化活動も、スポーツも、健康づくりも、地域交流も大切です。
しかし、そのすべてを行政が直接提供しなければならないとは限りません。
民間で提供できるものは民間へ。地域で担えるものは地域へ。行政が直接行わなくても、補助や支援によって目的を達成できる場合もあります。
逆に、民間では採算が合わなくても、社会として必要なものもあります。
また、病気、障害、貧困、虐待、家庭環境など、本人の努力だけでは解決できない事情によって最低限の生活や機会を失う人を支えることは、行政の重要な役割です。
ですから、これは単純に「行政サービスを減らす」という話ではありません。
本当に行政でなければ守れないものを、これからも守るために。
優先度の低いもの、民間で代替できるもの、役割を終えたものについては関わり方を見直し、そこで生まれた財源や人員を、本当に必要な分野へ振り向ける。
私は、これからの行政には、そうした考え方が必要だと思っています。
「何が大切か」から、「何を税金で支えるのか」へ
行政の事業について、「この事業は必要ですか」と聞けば、多くの事業は「必要だ」と答えることができます。
だからこそ、問いをもう一つ深くする必要があります。
「この事業は必要か」ではなく、
「なぜ、この事業を税金で、行政が担う必要があるのか」
この問いにきちんと答えられるかどうか。
人口減少や財政制約が現実になるこれからの時代には、行政の仕事を単純に増やすか減らすかではなく、「公共として守る範囲そのものを改めて考える」ことが必要になるのではないでしょうか。
「何が大切か」だけではなく、
「その中の何を、税金で支えるのか」。
そこから、改めて行政の役割を考えていきたいと思います。
次回:「必要な事業」と「行政がやるべき事業」は同じではない
では実際に、何を基準として「行政が担うべきもの」を判断するのか。生命・安全、最低限の生活、公共性、民間での代替、受益者負担、費用対効果など、具体的な判断基準から考えてみます。

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