「新人議員の報酬公開」について考える。民主主義における「対価」の正体とは
選挙の熱狂が去り、新たな会派構成が決まるぐらいの時期になると、SNS上でよく目にする光景があります。
それは、当選したばかりの新人議員による「給与明細(報酬明細)」の公開です。
「新人なのに、こんなに振り込まれていました!」
「民間感覚からすると高すぎます。議員特権ではないでしょうか?」
そんなコメントと共に投稿された画像には、数多くの「いいね」がつき、コメント欄は「正直な感覚を持っていて素晴らしい」「こういう人に政治を変えてほしい」という好意的な反応で溢れています。
私は、こうした一連の流れを見るたびに、一人の現職議員として、また議会制民主主義に関わる人間として、この問題をもう少し深く、冷静に紐解く必要があると感じています。
本日は、なぜ議員報酬がそのような体系になっているのか、法的な根拠と制度設計の視点からお話しさせていただこうと思います。
1. なぜ「新人」も「ベテラン」も同額なのか
まず、多くの方が疑問に思われる「新人なのにベテランと同額なのはおかしいのではないか」という点についてです。
ここには、民間企業の「給与」と、議員の「報酬」の決定的な性質の違いがあります。
一般企業であれば、経験やスキル、勤続年数によって給与に差が出るのは合理的です。しかし、議会という場においては、この「差」を設けることが、逆に民主主義の根幹を揺るがすことになりかねません。
当選証書を受け取ったその瞬間から、新人議員もベテラン議員も、法的には全く対等な「市民の代表」です。
議会での採決において、新人議員の1票が「0.5票」として扱われることはありません。何十年と務めたベテラン議員と同じ、重みのある「1票」を行使します。これは、その新人議員に投票した有権者の意思を、ベテランに投票した有権者の意思と完全に同等に扱うためです。
もしここで、経験年数によって報酬に差をつければどうなるでしょうか。それは「議員間に上下関係や優劣がある」ことを制度として認めることになってしまいます。
議員報酬が同額であることは、「新人であっても、ベテランと同等の権限を持ち、同等の責任を負う」という、制度上の要請なのです。
したがって、「新人だから貰いすぎだ」という感覚は、謙虚さの表れのように見えて、実は「自分はまだベテランほどの責任を負っていない」という認識の裏返しとも受け取られかねません。制度は、新人に対して最初からフルスペックの働きを求めているのです。
2. 「報酬」が担保しているもの
次に、「金額が世間離れしている」という点についてです。
地方自治法において、議員に支払われる対価は「給料」ではなく「報酬」と定義されています。これには、単なる労働の対価以上の意味が含まれています。
議員は、行政を監視し、条例を制定し、予算を審議するという重要な役割を担っています。その権限を、特定の利益団体や一部の権力者に忖度することなく、公正に行使するためには、経済的な自立が不可欠です。これを「身分保障」と呼びます。
仮に、報酬を極端に低く設定した場合、議員になれるのは「報酬がなくても生活できる資産家」に限られてしまう恐れがあります。それでは、多様な市民の声が議会に届かなくなってしまいます。
現在の報酬制度は、誰でも選挙に立候補でき、当選後は政治活動に専念できる環境を整えるために、先人たちが議論を重ねて築き上げてきたものです。
もし、新人の段階で今の報酬額が「高すぎて不釣り合い」だと感じるのであれば、それは制度が間違っているのではなく、これから担うべき「職責の重さ」と「現在の自己認識」にギャップがあるということではないでしょうか。
そのギャップを埋めるために必要なのは、報酬を否定することではなく、その金額に見合うだけの研鑽と活動を、一日も早く積み重ねることだと私は考えます。
3. 「金額」よりも「成果」に目を向けることの重要性
最後に、こうした投稿をご覧になる有権者の皆様へ、私なりの視点をお伝えしたいと思います。
「自分たちの感覚に近い」と発信する議員に対し、好感を抱くのは自然な感情です。しかし、そこで思考を止めず、もう一歩踏み込んで見ていただきたいのです。
私たちが本当に求めるべきは、「安い報酬で働く議員」でしょうか。それとも、「受け取った報酬以上の成果を地域にもたらす議員」でしょうか。
「高いからもらわない(返納する)」というのは、一見潔いようでいて、実は「そのコストに見合うパフォーマンスを出せない」という敗北宣言にもなり得ます。
真に市民のためを思うのであれば、受け取った報酬を最大限に活用し、調査研究や広報活動に投資して、より良い政策を実現することこそが、建設的な政治家の姿ではないでしょうか。
「高い報酬をもらっているのだから、それ以上の働きをしてくれ」
そうやって、コストパフォーマンス(費用対効果)の観点から議員を厳しく評価し、監視することこそが、私たちの税金を最も有効に使う方法であると私は信じています。
